198.あの子はたあれ

【作詞: 細川雄太郎 作曲:海沼 實 1939(昭和14)

たくさんの思い出曲の中で、何となくはにかみと苦笑いが伴う記憶の一曲がこれである。経ること60余年、小学二年の時の体験である。

つくづく歌はヘタだなと思わざるを得ない昨今だが、小二の秋に合唱団に選ばれたのである。クラスで数人、学年で30人ほどの選抜であったと思う。品川区立日野第一小学校での舞台である。ちなみにネットで調べたら五反田に今でもその学校は存在するから、わたくしの記憶も確かである。

歌った曲が「あの子はたあれ」で他にも歌ったかは定かではない。そんな古い事を、そんなに鮮明に覚えていると云うことは、当然「何かある」である。二番の歌詞である、イヤだったのである、本当にそこに来ると口をつぐむほど子供心にもイヤだったのである。

「竹馬ごっこで 遊んでる となりの 

けん・・チャン・・・じゃないでしょか」

普段呼ばれている名前「けんチャン」と自分で歌うのに抵抗があったんだろう。そしてトラウマになったのか、分かるような分からないような幼なの、まだ坊主頭にされる前の出来事である。

年に2,3回、この曲を歌うとき名前のところになると、皆んなが強く歌うような気がして、また口をつぐみたくなる思い、やはり「年をとると子供に返る」は事実のようだ。(M)

197.寒い朝

【作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正 1962(昭和37)

中村八大/永六輔コンビと同様、吉田正/佐伯孝夫の黄金コンビの作った歌謡曲である。そしてこの二人の曲でデビューした歌手も多く、この「寒い朝」も吉永小百合のデビュー曲で、決して歌はうまくないが随分とヒットしたようだ。

 メロディーに添って、ヴァイオリンのオブリガード(副旋律)が終始寒い風の様子を表現しているのがとても印象的である。YouTubeで聞いてみると、バックに北風が感じられるのがいい、特にイヤホンやヘッドホンで聴くとそれが顕著に分かる。

ヴァイオリンは全ての音、ささやく鳥の声・川のせせらぎから落雷雷鳴・爆音そして人の喜怒の声・泣き喜ぶ声まであらゆる音を表現できる楽器であると云われているが、ここでは風の音を五線譜に載せてわれわれに聴かせる、やはり楽器の王様である。

 

近年は水溜まりの結氷や霜柱を目にすることが殆どないのである。昔、紺碧の寒空の朝、路傍に張った氷を足で割ったり、5センチもある霜柱を蹴りながら歩いた登校時の、いうなればColdコールドを、およそ感じられない昨今である。

 

横浜神奈川区山内埠頭に横浜中央卸売市場(本場)がある、青木橋ないし京急神奈川駅から10分ほどのところに位置する。どういう経緯だったかは忘れたが、以前仕事でその水産物扱いの冷凍庫に入る機会があった。

それが時期は真夏で気温32℃、いくら涼しい方がいい季節とはいえ庫内マイナス30℃で、温度差62℃は異常・異質である。入り口の上下スライドドアー開くと白い霧氷??と冷気が飛び出してくる。そんな状況下、特に羽織る物もなく進入。冷気漏れを防ぐためドアーは直ぐに締められる、薄暗くそして分厚い氷が張り付いた壁といわず床・天井の極寒の冷凍庫に、正に閉じ込められた状況になる。

もしも扉が開かなかったら、大声上げても聞こえる筈もなく間違いなく凍死・・だ、恐怖と服を貫いて刺すような寒さが襲う。マイナス30度の世界では5,6分が限界、ちなみにこれはFreazeフリーズ状態であり、わたくしの最低温の体験で、いまだにその寒かった記憶が残っている。

当たり前なのだろうが、そこで働く人たちは、それが日常業務でフォークリフトや長靴半袖姿で出入りしている、「暑さ寒さも扉まで」なのか、感心しきりである。

冬の寒い朝(Cold Morning)はいいが、凍った朝(Frozen Morning)は遠慮してしかるべきと考える、何事も程度問題である。(M)

196.この広い野原いっぱい

【作詞:小園江おそのえ圭子けいこ 作曲:森山良子 1967年(昭和42年)

森山良子の歌ったこの曲と、マイク真木の「バラが咲いた」は日本のモダン・フォークソングの原点と言っても良いだろう。そして、この二人は途切れることなく今でも活躍している。さらに、二人の子供も活躍している。歌手の森山直太朗、俳優の真木蔵人である。

森山良子がこの曲を歌うのを初めて聴いたのは、もう40年以上前、学生団体が主催するジュニア・ジャンボリーというコンサートだった。まだ彼女はアマチュアの歌手だったが、「なんと綺麗な声なのだろう」というのが初印象であり、その気持ちは今も変わらない。

私も同じ頃からアマチュアのグループを結成し、何度も同じステージで歌うことがあった。

彼女はこの曲がきっかけとなりプロの歌手に、そして私は安易な安定収入を求めて放送局に就職した。

彼女はメキメキ売り出し、ヒットを飛ばし有名人になった。一方、私は番組制作の下積み生活だった。

ひょんなきっかけで私の番組に彼女がゲスト出演することになった。すでに有名人となった彼女にはマネージャーや付き人などの取り巻きが大勢ついていた。なんとなく圧倒されていた私に「あらっ、ノッペじゃない。(ノッペとは私のニックネーム)これって、ノッペが制作の番組なの?」と気軽に声を掛けてくれ、何となく救われる思いであった。

そんなことがあって以来、ほとんど全てのフォークソングの番組は私の担当になった。山本コータロウ、南こうせつ、かまやつひろし、マイク真木、ビリー・バンバン、八神純子、そして今やスーパースターになった中島みゆきが新人だった頃、お付き合いもした。

なんとなく手前味噌のような文章になってしまったが、今は森山良子さんのことを気軽に「良子ちゃん」と呼ばせていただいている。あの時の彼女の一言で、新人下積みディレクターの私がどんなに救われたことか。

 

好きな音楽仲間のネットワークは私の一生の宝である。(N)

195.船頭さん

【作詞:武内俊子 作曲:河村光陽 1941(大正16)

船頭さんが戦時歌謡の位置づけであったことは、この文章を書くための調べで知った。一寸驚きである。

太平洋戦争に突入する直前に発表された歌で、戦時色が強く、「六十のおじいさんですら、村のため、お国のために休む暇なく働いているのだから、君たちも早く立派な人間になって、お国のために尽くしなさい」というメッセージが込められている。(Wikipediaより)

戦後童謡として2番と3番が改められ、とてものんびりした櫓をこぐ感じや川面の様子が目に浮かぶ詞になっている。

実はいつもの老々ライブで、この歌を歌ったことは殆どない。それは70余年前の60才は今の80才以上で、詞に違和感があるからである。

戦前の平均寿命は50才、今は80余才であるので、「今年六十のお爺さん、年はとっても お船をこぐときは~」の詞に、少なからず抵抗を感じるのである。実感として思うのは、昔より20才以上若いということ、それは60を越えた人が健康・元気で前向きで、激しい運動は無理としても色々な活動をしているのを見れば分かる。

それだけでなく少子化もあって、国は70才まで元気に働ける社会システムを作ろうとしている。いい面悪い面あるが、会社勤めとか働くと云うことだけでなく活動する機会を設け、またそういった意志を個々が持つことは生き甲斐として、とても重要なことである。仕事では引退したとしても生きることに於いては、何時までも現役であるのだ。前にも書いたが「人生は現品限り」で“替えはない”のである。

この歌も、60才を80才に変えて丁度いい、現実に渡しや川下りの船頭さんがそうしていて元気溌剌だからである。

我ら二人も「勤め辞めて元気人間」で、80になってもギター背負しょってこの歌を「今年八十のお爺さん、年はとってもギターを弾くときは元気いっぱい腰が伸びる、ソレ~」となっているかも知れない。ただ次の日、腰が伸びきって寝込むのも良しとしての話である。(M)

194.犬のおまわりさん

【作詞:さいとうよしみ 作曲:大中めぐみ 1961(昭和36)

犬と猫、本当は仲がいいのか悪いのか分かりようはないが、迷子の猫を見守るが泣いてばかりいるのに手を焼き、自分もワンワンと鳴くという、何ともほほえましい状況が歌われている。園児たちに人気の歌である。

犬は番犬になるので、擬人化でやはりお巡りさんなのだろうが、ずっと以前飼っていた柴犬は、見知らぬ人が来ても尾っぽを振って番犬にはならなかった。だから犬にも適性があるようだ。それ以来ペットは飼っていない、どっちかと言うと手入れが苦手の家族でもある。エサもフンも手入れもない、以前販売していた「アイボ」みたいのがいいのかも知れない。だめかな、それですらエネルギー注入(充電)を忘れそうだから。ロボットは電気で動くのだ。

何年か前に、娘がロボット掃除機「ルンバ」をプレゼントしてくれた。部屋をランダムに動いて掃除する優れものである。が、いざ使うときにバッテリー切れ、それから充電に3時間くらい、そのレベルである。

童謡の世界では動物でもロボでもいいが、現実には労を惜しまず、動けるうちは動けという神の思し召しといったところだ。(M)