210.うさぎのダンス

【作詞:野口雨情、作曲:中山晋平 1924(大正13年『コドモノク』

この曲、童謡唱歌の黄金コンビ野口雨情と中山晋平である。

歌集の最後の曲となり、つまりはこの解説も今回が最後となるわけである。勝手なことを徒然に書きも書いたものだが、その感慨は次回相棒の回顧文に任せることにしよう。

うさぎの話をしなければならない。わが国では犬、猫の次に愛玩なのがうさぎではないかと思う。

童謡で“うさぎ”の名が付く曲は、わたくしが知る限り2曲である。

一に、これは誰もが知る「うさぎとかめ」(107回で解説)、そしてこの「うさぎのダンス」である。

歌詞にうさぎが出てくるのは「あわて床屋」である。あわてん坊の小蟹の床屋が、客のうさぎの長い耳をチョンと切り落とすという歌詞だ。

うさぎで忘れてならないのに国宝「鳥獣戯画」がある。京都市内から北西の山地、高尾にある古刹高山寺所有の鳥獣戯画の甲巻出てくる戯画で、うさぎ・カエル・サルが擬人化されて描かれた国宝である。その主役がうさぎである。生き生きとしたうさぎの仕草が面白く、且つ風刺的である。

この地には高山寺、神護寺、西明寺が歩いて回れる渓谷を挟んだ自然の中にある。何年か前に行ったが、現在は鳥獣戯画の甲・丙巻は東京国立博物館に安全保管のため寄託されていた、今もそのようで高山寺に行っても拝観することは出来ない。

鳥獣戯画は作者も描かれた年代も不明である。甲巻のカエル、うさぎの戯れる様子を描いた一筆描きにおぼしき筆致は、動物に生気と溌剌とした動きを与えた、つまり国宝の名に恥じない傑作中の傑作である。そこに“謎の”と名が冠するのがまたいい。

今風のコミック、この歌の詞も北原白秋が戯画的思考で生き生きとした床屋の風情を書いたのかも知れない。(M)

 209 およげたいやきくん

[1975年(昭和50年)作詞:高田ひろお 作曲編曲佐瀬寿一 歌:子門真人]

現在日本で売り上げ枚数が最も多いシングル盤、なんと453.6万枚も売れたとのこと。

歌手の子門もさぞかし儲かったと思ったら、レコーデイング時の契約が、販売枚数に比例しない買い取り契約にしたので、彼のギャラは5万円だったとのこと。彼は、まさかそれほどヒットするとは思わなかったらしい。

ところで、鯛焼きと言えば、気になるのは中のアンコである。粒あん派が圧倒的に多いが、私はコシあん派である。

もうずいぶん昔だが、仕事先で頂いた鯛焼きには感激した。普通の鯛焼きの半分ぐらいの大きさであるが、皮は薄く、頭の先から尻尾の先までコシあんが一杯につまっている。 とても上品な甘さ、皮はパリッと噛み心地良い。今思えば、どこで売っているのか聞いておけば良かった。もう一度巡り会いたい鯛焼きである。

蛇足:残念ながら、そのお得意先へのセールスは失敗、苦くて甘い経験である。

208.雨 ふ り   

【作詞:北原白秋、作曲:中山晋平1925(大正14年『コドモノクニ』

唱歌では雨の歌は多い、ピッチピッチ チャップチャプ ランランランとは、未舗装の雑草の生えた路地を寄り道しながら通った小学校への道すがらを思い出さないではいられない。

雨の唱歌、歌謡曲は多く大体暗い曲だが、この歌は明るく雨足と雨音がはじけるようでとても好きだ。

雨と言っても昨今のゲリラ豪雨とか極端な集中豪雨は困ったものだ。ましてや台風期だけに限らずあたりかまわず降る雨には、恨みつらみ以外ない。温暖化の影響であることは間違いなく、今後も地球の環境温度は上がるにつれて、地球は自らを冷やすため大気と海洋の大循環が加速するだろう。およそ考えられない豪雨、大洪水などが全世界を覆うことになる。

そしてそれは人間が自己の暴力(核戦争など)で破滅するか、ないしは環境の破壊で死滅するかの二つ、何れにしても今のままでは夢見る未来にはならない。地球にとって悪は、人間の存在と言えないこともない。

まあ地球規模の大きな話は別にして、日本人は雨を詩歌や散文に取り入れ「雨降り」の状況を生活の潤いと捉えてきた。それは素敵な響きの日本語に表してきていることで分かる。

「春は春雨、夏は夕立、秋は秋霖(しゅうりん)、冬は氷雨(ひさめ)」といい言葉だ。それだけ嬉しいにつけ悲しいにつけ、雨は我々の気持ちから切り離せない、日本人の心持ちと言えるのだろう。(M)

※秋霖は秋にしとしと降る雨のこと。氷雨は冬に降る冷たい雨のことだが、俳句においては夏の季語だそうだ。

207「スーダラ節」

1961年(昭和36年)作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶>

ご存知、この唄はハナ肇とクレイジーキャッツが歌い大ヒットしたが、自分には植木等の印象が強い。

それにしても私のような酒飲みには、この歌詞について「よくぞ、ここまで書いた」と褒めたくなるような、本当に酒飲みの心理を突いている。

「ちょいと一杯のつもりでのんで、いつのまにやらハシゴ酒―――わかっちゃいるけどやめられねー。」

私は、毎日がこの気分である。けっして良いことではない。健康にも悪い。いつの日か、ひどいめに会うのではないかと常々思っているモノの、やっぱり「わかっちゃいるけどやめられねー」なのである。

酔っ払って人に迷惑をかけたことは(多分!)ないと思うが、電車を乗り越したり、ころんでケガをしたりしたことは何度あるか。お恥ずかしいかぎりである。

それでも止められない。ほとんど毎朝「今日は禁酒」と思うが、意志薄弱な自分は夕陽が傾くころになると、耐えられずにプシュっと栓を抜く。 

若い頃は、更に昼飯にもビールを飲んでいたものの、止めるときには1週間ぐらいは平気で休肝できたものだ。年を重ねる毎に意志が弱くなってきたような気がする。これも老化現象か。

まあ、今のところは健康に過ごしているので、我慢してストレスがたまるよりは良いか! という、酒飲み独特のエクスキューズにて、「わかっちゃいるけどやめられね〜」のである。

 

206.下町の太陽   

【作詞:作詞:横井 弘、作曲:江口 浩司 1961(昭和36)

1963年に山田洋次監督が同名の映画を制作したが、1961年の倍賞千恵子「下町の太陽」の歌が先である。大ヒットした歌は良く知っているが、映画は見ていないので分からない。下町と言えば、今は下町ロケットである。

下町と言うと東京の浅草近辺をイメージとして思い浮かべると思う。別にはっきりとした区域があるわけではない。手元に「昭和・平成事件史」と言う冊子があるので、昭和36年で気になる事件を見てみると、その12月にニセ千円札事件が起きている。

昭和3612月 ニセ千円札「チ-37号」事件(1973/11時効の未解決事件)2年後の1963111紙幣の信頼維持のため、肖像を聖徳太子から伊藤博文に変更した新千円紙幣を発行した。現在のは平成16年(2004年)発行で野口英世である。

そして2024年に新札の発行だそうである。偽造防止で20年ごとに刷新しているとのこと、今回一万円は渋沢栄一、五千円が津田梅子そして千円は北里柴三郎となる。加えて五百円も最新技術の硬貨となる予定だとか。

新札発行を反対するものではないが、この国はやはり「不思議な国ニッポン」だと思うのである。ここ数年政府も、オリンピックを契機にキャッシュレスに移行しようと躍起になっている、我が国のキャッシュレス普及率はいいところ30%ほど、諸外国と比べ最低レベルだからである。

そこで何故新札なのか、現行の紙幣も最先端技術で作られていて偽札はほぼ不可能といわれているので、その防止のためは理由にならない。確かに新札発行は景気を良くするかも知れないが「逆行」である。不思議なのはマスコミも異を唱えないで、概ね歓迎の報道をしていることである。

わたくしは古い人間でどちらかといえば現金主義だが、同じ政府がキャッシュレス推進、一方現金優先の新札発行である。これでは現金交換のATMが減るわけがないのである。不思議な国としか言いようがない、無論それはいい悪いの話ではないにしろ、新元号の時と同様、新札発行の時も大騒ぎになるのだろう。我が愛する変な国である。

下町の太陽とお札とどういう関係があるのか不明、書いている本人の方が“不思議”ということの証である。(M)

 

204.金太郎

1900年(明治33年) 作詞・石原和三郎、作曲・田村虎蔵

三大太郎と言えば、金太郎、浦島太郎、桃太郎である。

太郎は日本を代表する男性の名前だが、ぱっと思いつくのは麻生太郎ぐらいなもので、ほかに私の知っている人に「太郎」はいない。同じく女性の代表は「花子」だが、これも知人にはいない。

その昔、長男は一郎か太郎、そして二郎、三郎と続くのが多かった。

内輪の話で恐縮だが、私は次男で二平、長男の兄貴は一平である。死んだ親父は平八だったが八男ではない。

最近は妙に洒落た名前と言うか、読めない名前が横行している。

明治安田生命が調査した2018年の赤ちゃん命名ランキングによれば、男の赤ちゃんベスト5は一位から 「蓮」、「湊」、「大翔」、「大和」、「陽翔」、女の赤ちゃんは「結月」、「結愛」、「結菜」、「杏」、「さくら」だそうである。読めますか? 

同じ漢字で読み方の違いもあるらしいですが、男性の読み方は「れん」、「みなと」、「ひろと」、「やまと」、「はると」、女性の4位までは「ゆづき」、「ゆあ」、「ゆうな」、「あん」と読むらしい。(N記)